日本人なら知っておくべき歴史の裏側 その1
2010年 02月 28日
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文字起こししました。 よければ拡散にご利用ください。 田母神講演 『8.6田母神講演会 ヒロシマの平和を疑う!』より 大東亜戦争前のアメリカ 実は、アメリカでは1933年にフランクリン・ルーズベルト政権と言うのができました。 そのままフランクリン・ルーズベルトは4期大統領をやるわけなんですね。 4期目の途中、大東亜戦争が終わる直前にこのルーズベルトは死にます。 その後をトルーマンが受け継ぎます。 1953年まで続くんですが、20年間アメリカは民主党政権が続くんです。 1933年から1953年まで。 1953年にアイゼンハワー共和党政権ができるわけですけれども。 これが日本の不幸だったかもわかりません。 実はこのフランクリン・ルーズベルトは第3期目の大統領をやるときにですね。 共和党の党首はハミルトン・フィッシュと言う人なんですね。 このハミルトン・フィッシュとまぁ戦いになるんですども。 アメリカ国民はもう戦争は絶対いやだと言うムードがアメリカには蔓延してたんです。 ですから、フランクリン・ルーズベルトはアメリカは絶対に戦争はしないと言う公約で 大統領になった人なんですね。 ですから、2年前にその1941年、日米戦争が始まる2年前からヨーロッパで戦争が始まってて イギリスのチャーチル政権がですね、もうヒトラー、ドイツのヒトラーにやられそうになってて チャーチルからアメリカに助けてくれと要請がなんども届くんですけれども フランクリン・ルーズベルト大統領はドイツに対して宣戦布告をすることができない。 それは、絶対に戦争はしないという公約で大統領になったからです。 アメリカの大統領の公約というのは大変重たいです。 日本の政治家の公約すぐはがれます。 フランクリン・ルーズベルトは考えたわけですね。 当時ドイツとイタリアを日本は同盟国です。 ドイツの同盟国である日本を締め上げれば、太平洋で締め上げれば 日本はアメリカに対して手を出してくる可能性が高いという風に踏んだわけです。 そして、そのアメリカの計画に引きずり込まれて日本は真珠湾攻撃に入っていくわけですね。 アメリカにヴェノナファイル(VENONA files)と言う文書があります。 このヴェノナファイルとかヴェノナ文書とか言うのがですね。 アメリカは実は1940年から1948年まで8年間さっきのコミンテルン 共産主義インターナショナルコミンテルンの本部モスクワとですね 出先のエージェントが無線で交信をするこれを8年かにわたってモニターしたんです。 モニターをしたけれどソ連が一回限りの暗号書を使うので解読できないんですね。 内容がなにかわからないの。 で、アメリカは日米戦争を戦っている最中の1943年からこの解読作業に組織的に力を入れたんですね。 そしてなんと37年かかって1980年レーガン政権ができる直前にですねこの解読作業を終えました。 これによるとですね、このフランクリン・ルーズベルト政権の中に300人以上このコミンテルン国際共産主義の スパイがいたと言うことが書いてあるんですね。・・・事が判ったんです。 それを、そう言ったものをまとめた文書がヴェノナファイルと言う文書です。 アメリカの公式の文書ですね、これは。 今これはですね、CIAのホームページとアメリカのNSA国家安全保障局のホームページに掲載をされているのですが 誰でも読むことができます今はですね。 まぁ、英語だから読むのはちょっと大変ですけれどもこの1980年当時は冷戦の真っ只中ですからですね ソ連に手の内を知られるのはまずいと言うことでこれは機密文書にされていたんですね。 1995年になって冷戦がおわってこれが機密が解除されて今は一般に公開されているんです。 それによると、フランクリン・ルーズベルト政権の中に300人コミンテルンのスパイがいました。 その中で、コミンテルンのスパイの中で政権の中で一番えらくなったのは誰かと ハリー・デクスター・ホワイトと言う男だと。これは後に財務次官補になったんです。 財務省のNo2になったわけですね。 この男がコミンテルンのスパイだった。 ハルノートを書いたのはこのハリー・デクスター・ホワイトだそうです。 当時、フランクリン・ルーズベルト大統領の下にはヘンリー・モーゲンソウと言う財務長官がいました。 ハリー・デクスター・ホワイトはこの下にいるわけですね。 一方国務省ではオーデル・ハル国務長官。ハル国務長官ですね。 このフランクリン・ルーズベルト大統領はこのハリー・デクスター・ホワイト コミンテルンのスパイが書いたものを採用してハル国務長官を通じて日本に渡したと言うことだそうですね。 ハル国務長官もこんなことを日本に言ったら戦争になるんではないかと言うことを言ったそうですから まぁ、それはもう判っていたわけですよね。 ハミルトン・フィッシュと言う当時このフランクリン・ルーズベルトの政敵ですね。共和党の党首。 この人はですね、日米、戦後日米開戦の悲劇と言う本を書いているんですね。 1991年、冷戦が終わった後に亡くなられましたけども、亡くなる直前にこのメモを残しているんですね。 それがこの平成3年のあの諸君と言う雑誌がありますがこれが今年無くなってしまいましたけれども残念ながらですね この平成3年の諸君の8月号に、このハミルトン・フィッシュ元共和党党首のメモが残ってるんですね。 これによるとですね、ハミルトン・フィッシュは次のように言ってます。 我々は、我々はそのフランクリン・ルーズベルトからですね。 アメリカ政府が日本政府に対してハルノートのようなものをぶつけていると言うことを まったく知らされていなかった、外交委員である私にさえフランクリン・ルーズベルト大統領は ハルノートを日本に、こんなものをぶつけていると言うことを教えていなかった。 と言うことを言っています。 あんなものをぶつけられたら、それは日本だって戦争に訴えたくなるだろう。 実は真珠湾攻撃は日本がやった時はですね、このハミルトン・フィッシュもそれを判らなかったからですね 日本は卑怯な国だと彼も叫んだんです。 しかし、共和党は当時日米開戦に大反対でした。 それを、反対を押し切ってルーズベルトが日米開戦に導いたわけですけどもですね。 ハミルトン・フィッシュは40年間この日米戦争について研究してきて私は驚くべきことを発見をしてしまった それはハルノートを書いたのは誰かと言うことだと。 これはハルノートを書いたのは、これはアメリカ人もこれを知ったら本当に驚くであろうと それはコミンテルンのスパイであったハリー・デクスター・ホワイトだと この共和党の党首が書き残しているわけですね。 ▼▼▼ブログランキング登録中▼▼▼
by nihon2050
| 2010-02-28 16:29
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