自由ってさ権利と義務がセットだよね?
2009年 11月 25日
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自由には二つの意味があるって知ってますか? wikiから引用(やや改造)ですが・・・。 ▲他者から拘束を受けない消極的自由 (freedom束縛や拘束がなく義務を免除された状態、 すなわち自由の消極的側面 (しなくてよい)が強調される。) △自己自身に対して自己実現を課す積極的自由 (選択や行動・発言の権利が保障された状態、 つまり積極的側面(してよろしい)に比重が置かれる。) さて、この二つの意味。。。 何か矛盾を感じませんか? 私が認識する自由は△の方です。 学校で習いましたよね?自由と権利はセットだって。 そして権利には義務がかならず生じる。 権利ばかりを追求しちゃいけませんって。 これは本当にごく当然の事だと思うのですが みなさんはどう感じますか? 自由って言う言葉の矛盾点に気が付きましたか? 日本ではいつからか、▲の方の自由が前面に出てきたように思います。 ▲の方は、簡単に言えば好き勝手とか自由気ままでしょうか。 世の中の人がみんなそうなったら、混沌としますよね。 なので、自由と言う権利を叫ぶには義務が生じるようにしないといけない。 これは集団行動における当然の事ですよね? 私達は決して一人で生きていけるわけではありませんから。 △の自由は日本の道徳にも繋がるのです。 和を重んじれば権利ばかり主張はできないし、してはいけない。 ところが個を尊重する動きが強くなり、▲の自由が侵される(なんらかの義務を生じさせる)と 人権侵害だ!と叫ぶ人に同調してしまう人が増えてしまいました。 これは明らかに、教育における自由と権利と義務が希薄になっているからでしょう。 あとはマスメディアによる▲の自由の声の拡散。 メディアが流す▲の自由は偽善でしかありません。 ▲の自由が侵害されいて可哀想可哀想と言うだけで、 根本的な解決策などは丸投げだからです。 ▲の自由が蔓延した結果。。。 地域との接点をなくし、さらに個人主義が広がり、自己完結しかできなくなり 自殺者が増えたとも考えられます、外界ときちんとしたコミュニケーションが取れれば 回避できた自殺も多いのではないでしょうか? フランスの社会学者エミール・デュルケームは 制限のない自由が個々人をかえって不安定に陥れることを問題視していたそうです。 さらに、エーリヒ・ゼーリヒマン・フロムは著書『自由からの逃走』の中で、 孤独と無力感にさいなまれた大衆が、他者との関係、指導者との関係を求めて 全体主義を信奉することになると記しているそうです。 日本は今、明らかに左傾向化(全体主義化)してきています。 (子供手当て、学校無料化、高速の無料化、裏側における増税 2chでは一億総中流から一億総物乞いになったとか書かれてました だれが上手い事を言えと、、、ry・・・) 全体主義にはほとんど自由がありません。 皆が同じ生活、似たようなレベルでの生活をするようになるからです。 誰かがずば抜けて裕福になるとか、 頑張った分だけお金持ちになれるとかもありません。 富の分配の名目の元、働いて納税するだけ。 生活は質素になり今のように遊ぶというのも難しくなるでしょう。 日本はこのまま自由の無い国になってしまうのですか? 私達国民が真の自由(△のほう)を得る為には 教育の再構築とまともじゃないマスメディアの打倒が急務かもしれません。 ただ、【積極的自由の概念も、他者との連帯を求めるが故に究極的には全体主義へ繋がる】と 提唱している人もいるようです。 ▼▼▼ブログランキング登録中▼▼▼
by nihon2050
| 2009-11-25 13:22
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